“How are you?”は「あまりにも教科書的なのではないか?」という疑問。
特に少し英語をやりはじめ、さらに巷に出回る「情報」から「そんなにネイティブの人たち言わない」「みたい」だしというのが耳に入り、、と言う話。疑念はごもっとも。
ですが、アキ先生もおっしゃっていましたが、実際" How are you?”自体は良く聞きますし、「実際にはそうした情報に疑念を持ちすぎると却って積極的にしゃべれなくなる」との心配も!
人間の行動は継続的に行われるものは「単純化」され「無駄を省いた」ものに変容し、「習慣化」されていきます。これは
ありとあらゆる場面で当てはまる事ですが、必ずしも、全てにあてはまる訳ではないと思います。特に言語習慣はそうでしょう。
さらに外国語を学ぶ、という現場、とくにセカンドランゲージラーニング(その言語が話されている国などで、自分の母語でない対象言語を学ぶ)でなく、フォーリンランゲージラーニング(その言語が話されていない国などで、自分の母語でない対象言語を学ぶ)
においては、学習者が実例を「目の当たりにする」そして「比較•検証する」という行為に限界があります。
平たく言えば、アメリカやイギリスに居れば “ How are you ? “ って言うの?という「疑問」に
「はい、使いますよ」
「こう応えてますよ」
という実例が聞けます。
これは現場の声(つまり「嘘の無い」とされるやり方(苦笑))からそう判断できますね。
だが、大事な事はまだあると思います。
それはこうした例について「できるだけ複数例を知る」と言う事なのではないかと思うのです。
これが「比較」「検証」です。
日本語に置き換えても同じと思いますが,
私がしゃべっている日本語がすべての日本人のしゃべる日本語として
「最もスタンダードで例外のないしゃべり方、対応の仕方」か、というとこれは「そうでも無いぞ」ということがあるでしょう?
それと同じで、その対象言語を話す、現地の方,
それも一人二人に聞いたからと言ってそれが全ての例を包括しているかというとそうではない、と感じるのです。
なので過ぎたる一般化は却ってその人の学習を妨げる、、というのが私が感じた事です。「言わないんじゃないか」に縛られると「学ぶチャンスが減る」と思っております。
そしてこの件は実際 “How are you?”が使われるかどうか、
ではなくて答え方自体にも色々バリエーションがある、ということも含んでおります。
本当は答え方すべてを全部教科書に詰め込んだ方が「正しい」英語を教えると言う事になるかもしれませんが、「限られた時間や条件で最大限の効果を発揮させよう」と教科書は作られている訳で、全体を完全網羅したような「実例集」は現実に即していないでしょう。
実際によくおいでになるのですが「すこし海外に行ってた」というので自分の「見たもの」「聞いたもの」で「すべてを定義」しようとする皆さん。「あんなの教科書にのってないよ」と言いたくなっちゃう皆さん。特に先生方でもそうなってしまうケースはございます。(この話は別の機会にゆずるとして)「学び」に導く側としてはぜひともフラットな考え方で行きたいものです。